CMC letter No.8(第8号) - [特集・1]化学物質管理の展望
今号の特集は、NITEの業務において重要なキーマンとなる3名の方々に、さまざまな視点から、今後の化学あるいは化学物質管理の方向性、期待などについて執筆いただきました。化学物質のリスク評価ベースでの管理という大きな流れを乗り切るための羅針盤になればと考えております。
化学物質管理の大きな絵
[NITE理事長]御園生 誠
大きな絵(big picture)とは、全体像とかグランドデザインとかいった意味。貴方は、「NITE(本所)はどこにあるのですか。これから東京駅から行くのですが、道順を教えて下さい」と聞かれたらどう説明するだろうか。相手にもよるが、おそらく、東京全体と新宿、渋谷あたりのイメージを話し、幡ヶ谷、代々木上原駅とそこからの方角、距離の見当を教え、それから駅からの道順を縷々説明するのではないか(最後が難しい)。このように、あることを理解するには、全体像を大づかみに把握することと、細部を詳細に理解することの両方が必要である。いわば鳥の目とアリの目で、いずれが欠けても正しい認識と判断はできない。
では、化学物質の全体像と細部はどうであろうか。特定の化学物質の有害性を一般市民に問われた場合を考えてみよう。説明は「化学物質とは」から始まるかもしれない。広辞苑には、化学物質は化学が対象とする物質で純粋物質とほぼ同じ、とある。したがって、天然も合成も、有用なものも有害なものも含まれる。それなら、いっそ「物質」と呼ぶべきだと多くの化学者は主張する。
さて、化学物質の総数は3千万種ともいわれる。他方、NITE等がリスク評価を実施した物質数が100あまり。詳細リスクが報告されているものは世界でも200物質程度であろうか。化学物質の総数に比べてあまりに少ない。その上、国内には多くの縦割りの法規制があり、それらは互いにも国際的にも十分に調和しているとはいい難い。このような状況で、どう説明すれば、化学物質に関する健全な相場観(常識)を身につけて、化学物質と安全に安心して付き合えるであろうか。市民から見て得心のいく化学物質管理が大変な難事業であることが容易に想像できる。
この難しさは、感染性細菌の管理(感染症法改正後、医療における開発の推進と規制のバランスのとり方が難しくなった)や製品のリスク評価(リスクの定義や評価法は微妙に異なる)にも共通する。その他、食品安全の問題でも、かつての化学物質管理と非常に似た問題が起こっている。例えば、絶対安全を求めるあまり、BSEに対する過剰な対策があったり、遺伝子組み換え食品がほどんど許されなかったりする。偽装食品のように、健康上の実害はほどんど出ていないが、信頼を損なったとして大問題になった例もある。いうまでもなく、これらの他にもリスクは多数あるので、いかにリスクに優先順位をつけて対策するかも極めて重要な課題である。このように、「規制の科学」(regulatory science)と「規制の技術・制度」が社会の各方面で喫緊の課題となっている。幅広い視野から、各分野が連携して効率的で実効のあがる対応をせねばならない。
以上の背景を考えると、化学物質とその適正な管理は、多くの分野に波及しうる21世紀の持続可能な社会にとって、欠かすことのできない科学であり技術であることがわかる。NITEが、新しい時代の化学物質管理のあり方について、国民の福利を最優先にした「大きな絵」を描き、その方向に向けて、多くのステークホルダーと協力しつつ、着実に活動を継続発展するよう期待したい。
化学物質管理と構造活性相関 ヒト健康影響評価 -遺伝毒性を中心に-
[国立医薬品食品衛生研究所変異遺伝部部長]林 真
化審法による化学物質のヒト健康影響評価は、年間生産、輸入10トン以上の物質について細菌を用いる復帰突然変異試験(Ames試験)、ほ乳類培養細胞を用いる染色体異常試験、及び28日間反復投与毒性試験(スクリーニング毒性試験)の成績により評価されています。この組み合わせから、遺伝毒性試験にかなりの比重がかかっていることがわかります。
そもそもスクリーニング毒性試験は、化学物質の長期毒性を予測する意味合いから用いられているものであり、遺伝毒性試験も長期暴露でのがん原性を推定することが主な目的です。遺伝毒性試験は、その指標から遺伝子突然変異と染色体異常誘発性を検出するための試験に大きく分類することができます。また、使用する材料からin vitro試験(人工的な環境での試験)とin vivo試験(生体を用いた試験)に分けることができ、その組み合わせにより多くの試験が開発され、実際に安全性評価の目的に用いられています。遺伝毒性はその指標が比較的単純なことから、構造活性相関に基づくモデルが開発されてきました
私たちも厚生労働科学研究費の補助を受けこの問題に取り組み、いくつかの市販モデルを検討した結果、単独で用いるにはまだ不十分であることが判明しました。そこで、複数のモデルを組み合わせることにより(現在3種類のモデルを用いています)、それぞれの特長を生かすとともに、欠点を補い合い、かなり精度よく判定できるようになってきました。
すなわち、3種類のモデルを用いて判定を行い、すべてにおいて陽性の判定がなされた場合に総合陽性、また、すべて陰性の場合に総合陰性と評価すると、90%以上の確率で実際のAmes試験の結果と同じ判定が可能であることが判明しました。ただし、この場合には評価できる化学物質の割合がかなり小さくなり、試験結果との一致率は多少下がりますが、3種類のモデルのうち、2種類以上で同じ結果が得られたものを最終判定とすることにより、評価可能な化学物質の割合が当然のことながら大幅に向上しました。適用の目的に応じて使い分けることにより、かなりの成果を期待することができると考えています。
現在、化審法の調査会に、これらの結果を参考として提出しており、評価法自体を評価しているところです。また、化審法のスクリーニング毒性試験の大きな柱である28日間反復投与毒性試験のin silico(コンピュータ上での)評価に関しても本年度から、NEDOプロジェクトとして開始しました。このプロジェクトは、NITE、国立医薬品食品衛生研究所、ブルガス大学(ブルガリア)、東北大学、関西学院大学及び富士通株式会社の協力のもとに行われ、その内容は、システム自体で最終評価をするのではなく、専門家の評価をサポートすることに主眼を置き、毒性発生のメカニズム、代謝に関する情報もデータベース化することを目標としています。
また、経済協力開発機構(OECD)等とのコラボレーションも念頭に置き、これまでにない新しいシステムの構築を目指しています。さらに、特徴的なことは、システムの構築で毒性分野の専門家が中心的な役割を果たしていることもあげることができ、その成果が楽しみなところです。
今後の化学物質管理の方向性とNITE化学物質管理センター
[NITE化学物質管理センター所長]坂口 正之
国の化学物質管理政策については、経済産業省産業構造審議会化学・バイオ部会化学物質政策基本問題小委員会中間取りまとめ(平成18年12月)を受けて、同化学物質政策基本問題小委員会化学物質管理制度検討WG中間取りまとめ(平成19年8月)では、化学物質排出把握管理促進法(化管法)改正の方向性が議論されています。
また、平成20年1月からは、同じく化学物質政策基本問題小委員会の開催により、さらに化学物質審査規制法(化審法)の改正に係る方向性の議論が始まっています。
その中では、例えば化管法では、PRTRデータについて誰もがより容易に個別事業所ごとのPRTRデータが入手可能となるよう、現在の開示請求方式から国による公表方式に変更すること、環境リスクをより一層把握するために廃棄物の処理方法等を届出記載項目に追加すること、などが指摘されています。
また、化審法改正議論においては、適正なリスク評価とその評価結果を踏まえた規制体系の構築が重要な論点になることが予想されます。
現在、NITE化学物質管理センターでは化管法、化審法施行における運用面の一部を担っているところであり、今後の法改正の方向性によって、その業務も大きく変化することが予想されます。
NITEとして、そのような法改正議論を十分に踏まえ、改正後も的確な運用体制が構築できるよう対応を図って行くことはもちろんですが、NITEが10年以上に渡るこれまでの運用実績を踏まえた各種の情報提供、意見提案など、可能な限り関係省庁との連携を進めて行くことが重要と認識しています。
直接的な法律業務以外の化学物質総合管理情報提供業務では、NITEホームページ上で「化学物質総合情報提供システム(CHRIP)」などを公開しています。化学物質管理において各種の安全性に係る情報の重要性はますます高まっており、お陰様でこのCHRIPへのアクセス件数は、現在月平均55万ページに達し、5年前の約4倍、3年前の約2倍となっています。さらに、皆様方の意見も踏まえ、今年度中に毒性試験データや用途情報など各種情報を追加することとしていますが、長期的には国内、国外の他のデータベースとの連携のあり方などについても検討を進めて行きたいと思います。
化学物質リスク評価関係業務は、これまで、PRTR対象150物質の初期リスク評価を行い、ホームページなどを通じて85物質の評価書の公表を行っています。今後もPRTRデータや環境モニタリングデータなどを注視しながら、必要な見直し等リスク評価業務を引き続き推進して行くこととしています。
これまで、事業者、試験研究機関、行政など多くの皆様のご指導、ご支援により、NITE化学物質管理センターはこれら業務を鋭意進めてきましたが、現在、化学物質管理のあり方、方向性は大きな変革の中心にあります。
このような変革の流れの中で、これまで以上に多くの皆様方に信頼され、活用される機関となれるよう日々努力を重ね、邁進して行く所存です。
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