バイオテクノロジー

流出石油が環境に及ぼす影響

環境に与える影響

魚への影響

魚は、植物や小さなプランクトン達とは違い速い速度で移動できるため、流出油で汚染された海域から移動して逃げようとします。そのため、死滅にまで至ってしまうことは少ないです。

しかし、閉鎖性の高い内湾や養殖場などでは、逃れることが難しいため、魚の大量死に繋がり易いです。魚のエラや体表は粘液膜で覆われており油が付着しにくくなっていますが、大量の油が存在した場合やエマルジョン化した油の場合は付着しやすくなるため、エラや体表に油が付着して機能不全に陥るケースもあります。稚魚や卵は、成魚よりも油に対する抵抗性が低いことが知られています。また、死に至らなくても、漁獲対象とされている魚の場合には、身が石油臭くなるといった着臭の問題があります。石油汚染された餌や海水を取り込むことによって体内に石油成分が蓄積し、不快な味や臭いを発するようになるのです。着臭した魚は、当然、食用には適さなくなってしまうため、漁業に与える影響は大きいです。

水鳥・海獣への影響

大規模な石油流出事故が起こったとき、必ずマスコミに登場するのが、油まみれになった水鳥の映像や写真でしょう。実際、海を生活の場として利用している水鳥達は、流出した石油によって大きな被害を受けやすいのが現状です。

ナホトカ号事故の際には、事故発生から3ヶ月の間に、生体・死体併せて1311羽の水鳥が保護されましたが(環境庁1997年3月17日発表)、回復したのはわずか100羽ほどでした。エクソン・バルディーズ号事故にいたっては、10-30万羽もの水鳥が死亡したと推計されており、周辺海域一帯の水鳥達に壊滅的な被害を与えたといってもよいでしょう。

水鳥の中には、油膜の拡がった海面に好んで着水するものもいるといわれ、被害を大きくする要因となっています。水鳥の羽毛は、海に潜っても羽毛が水を含まないように、疎水性の物質でコーティングされていますが、これらは親油性であるため、流出油に触れると溶け出してしまいます。水鳥は、羽毛の間に空気を蓄えることによって、海面上での浮力を保ったり、体温を維持するのに役立たせていますが、コーティングが溶け出すと、羽毛に空気を蓄えられなくなって、これらの機能が損なわれます。その結果、遊泳や飛翔が困難になったり、体温の低下によって場合によっては凍死に至ることもあります。

また、水鳥類や海獣類(海で生活している哺乳類)は、石油で汚れた羽や体毛を口で整えようとするため、そのときに石油を摂取してしまいます。皮膚から直接浸透したり、あるいは油膜から蒸発した石油成分の蒸気を吸い込んで体内に取り込んでしまう場合もあります。体内に取り込まれた石油成分は、既に述べたような細胞毒性で内臓に損傷を与えるほか、中枢神経系にも作用して行動傷害や知覚麻痺を引き起こします。石油汚染を受けた水鳥や海獣は、それが直接の死因とはならなくても、動きが鈍くなることによって、餌が獲れなくなったり外敵から身を守れなくなったりして死んでしまうことも多いようです。

潮間帯・海岸での影響

流出油は、海上を漂流しているときよりも、海岸に押し寄せたときに被害がより一層拡大します。海中を泳いでいる魚は海面上を漂う流出油から逃げることもできますが、海辺に生息している生物達は逃げる間もなく押し寄せる流出油に飲み込まれてしまいます。海岸や浅瀬に生息する生物の多くは、移動能力が乏しいか、全くないに等しいため、流出油の影響をダイレクトに受けることになります。海岸や浅瀬に生えている海藻類あるいは海草類は、流出油の被害を受けやすいものの一つです。海藻類は、体表あるいは根・仮根から油を取り込むことによって障害を受けるほか、葉体の表面が油膜に覆われることによって光合成が阻害されたり、付着した油の重みによって脱落したり剥離したりします。海藻の配偶子は海水中で受精するため、流出事故が生殖期や成長期に重なると被害はさらに大きくなります。これは、種子植物の場合も同様で、新しい根が伸びたり、花が咲いて種子ができたりする成長期に油汚染されると、かなり深刻なダメージを受けることになります。貝類など潮間帯に生息する生物は、普段から変化の激しい環境で生きているため、石油汚染に対する抵抗性も比較的強いと言われています。しかし、種によって感受性に違いがあり、大量の流出油に曝された場合には、深刻な被害を受けることもあり得ます。また、甲殻類は、他の生物に比べて抵抗性が弱いらしく、被害例が多いことが知られています。貝類やエビ、カニなど食用となっている生物の場合、魚類と同様、死に至らなくても着臭という問題が発生します。

海岸に打ち上げられた漂着油は、毒性の強い低分子成分が蒸発や溶解によって失われていくため、急性毒性は低くなっていきます。流出してから長期間経過して風化の進んだ漂着油は、一般に毒性は低いです。

食物ピラミッドに及ぼす影響

流出事故を生き残ったり、運良く直接的な被害を受けなかった生物達も、流出油によってもたらされる海洋生態系の変化を多かれ少なかれ受けることになります。

海洋生態系の食物ピラミッドの下部にはプランクトンが位置しており、ピラミッド全体は植物プランクトンの光合成によって支えられています。海面に漂う油膜は太陽の光を遮るため、植物プランクトンの光合成が阻害され、植物プランクトンが減少することは十分考えられることでしょう。一方、事故後しばらく経ってから珪藻類など特定のプランクトンが増殖したという例もあり、赤潮の発生などに結びつく可能性も指摘されています。動物プランクトンも、流出油の影響を受けて、数が増減するといわれていますが、はっきりしたことはよく分かっていません。いずれにしても、流出油によるプランクトン群集の変化が、周辺の海洋生態系に影響を与える可能性は否定できません。また、プランクトンの増減以外にも、油に弱い生物種が減少することによって、生態系の構造が変化することも考えられます。

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人間生活に与える影響

産業に対する影響

大規模な石油流出事故が起こった場合、多かれ少なかれ、漁業に影響が出るのは避けられないことです。死滅しなかったとしても、魚介類に石油臭が着けば、商品にはならなくなります。汚染海域の養殖場では、壊滅的な被害を受けるでしょう。また、魚介類に対する実際的な被害は軽微だったとしても、周辺海域で獲れた魚介類を買い控えるといった行動が起こるのは避けられないと考えられます。

また、流出油が打ち上げられた海岸では、観光産業も大きな打撃を受けます。漁業や観光産業の他にも、火力発電所や原子力発電所など海水を大量に使用する施設では、流出油の被害が発生します。これらの施設では冷却水として大量の海水を使用しているため、取水口から取り込まれた海水に油が混じっていた場合、配水管が汚れて出力が低下したり、最悪の場合には操業を停止しなければならない事態も起こり得ます。

また、汚染海域では、油の汚染や回収作業によって、船舶の航行が制限されることが多いです。船舶交通の制限は物流や人の流れに影響を及ぼすため、流出事故の間接的な影響は汚染地域のみに留まらずより広い範囲に及ぶことがあります。

人の健康に及ぼす影響

このような経済・産業的な被害だけでなく、流出油が人の健康そのものに与える影響も無視できません。特に流出油の回収・防除作業を行う人々は、流出油と直接接するため、健康被害を受けやすいです。

石油に含まれる成分の中には、人に対する毒性が認められているものも多く、特に揮発性の高い低分子成分の中に毒性の強いものが多いことが分かっています。飽和炭化水素よりも芳香族炭化水素の方が毒性が強い傾向にあり、単環芳香族のベンゼン、トルエン、キシレンといったBTX化合物は特に強い毒性を持っています。BTX化合物やn-ヘキサンをはじめとする低分子アルカンには、中枢神経抑制作用があり、いわゆるシンナー中毒様の症状を呈します。ひどくなると頭痛、めまい、吐き気などを催し、最悪の場合、死に至ります。また、眼に対する刺激性があり、眼に触れると眼が痛くなるなどの症状が出ます。これらの低分子成分は揮発性が高いため、流出油付近の大気に蒸気として高濃度に存在していることがあり、特に流出後間もない時期は、その可能性が高いでしょう。そのため、流出油回収作業を行う人は、蒸気を吸い込んだり、蒸気が眼に触れたりしないように、可能であれば防毒マスクやゴーグルを装着するべきです。

重質な成分は、軽質成分に比べて毒性が低く、短期的にはほとんど無害だとされていますが、多環芳香族の中には発ガン性や催奇形性が強く疑われているものもあります。これらの重質成分は、蒸発や溶解によって失われることがないため、回収・除去作業で取り残された場合には長期間残留してしまう可能性が高いです。

【表1】重油除去作業者の保護具の使用状況及び症状
保護具 使用者数 使用率
手袋の着用 39 名 92.9%
眼鏡の着用 12 名 28.6%
防毒マスクの着用 2 名 4.8%
症状 有訴数 有訴率
受診者42 名中    
呼吸器症状
喉がいがらっぽい
31 名
22 名
73.8%
52.4%
神経症状
頭痛
16 名
16 名
38.1%
38.1%
消化器症状
胸やけ及び胃の周りの痛み
13 名
3 名
31.0%
7.1%
眼症状
眼が痛い
涙が多く出る
31 名
23 名
12 名
73.8%
54.8%
28.6%
皮膚症状
皮膚掻痒感
顔のかゆみ
21 名
21 名
18 名
50.0%
50.0%
43.9%

ナホトカ号事故の際には、地元住民のほか全国から大勢のボランティアが駆けつけ回収作業に従事しました。この事故では、重油回収作業中、5人の方が亡くなられるという悲劇的な出来事が起こっていますが、そのうち4人の方は急性心不全などの心臓疾患で亡くなられており、石油成分の毒性が直接の死因ではないと考えられています。心臓病の既往歴を持っていた方もおり、おそらく、寒冷下、慣れない重労働を続けたことが一因となったのでしょう。しかし、重油回収作業に従事された方の中には、重油成分によるものと思われる症状が多数発生しています。いずれにしても、手袋、ゴーグル、マスクなど防具の着用も含め、重油回収作業を行う人々の健康管理には十分注意しなければなりません。

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